私の出身地は京都の丹波のあたりで、明智光秀の領国でした。
地元の歴史好きが同人誌のようなものを作って配っていて、親に見せてもらいましたが、素人とは
思えないほど当時のことを細かく書いていて、郷土史家って侮れないなぁ…と感じました。
実家の近所にある神社の祭神がタケミカヅチといって、これは戦の神様でもありますので、もしかしたら光秀もこの神社を詣でたかもしれない……などと想像しながら歩くと、見慣れた故郷の景色も違って見えてきますね。
……などどいうことは以前はまったく興味が無かったのですが、大河ドラマ「麒麟がくる」にはまったせいでニワカ歴史ファンのようになってます。毎週観てますが、いや~~ほんとにおもしろい。
今は収録ができず、6月7日の回をもって休止するそうです。光秀が織田信長に丹波攻略を命じられるのはまだ先のことなので、残りの回ではそこまでいかないでしょうね……。桶狭間の戦いが終わるまではいくかな?
恐らく再放送するでしょうし、見逃した方はこの機会にぜひ!
大河ドラマって、その時の最新の歴史研究に基づいてけっこうリアルに描かれているようです。例えばドラマの中では女性が立膝をついて座っていますが、これも当時は畳が無くて、正座がかなりきつかったためだと聞きました。
それで食事シーンを観ていて、ご飯をおひつから盛るんですよね。今でも旅館とかの白飯はおひつに入っていたりしますが、ちょっとぬるいくらいの温度ですよね。一日に何回も火を起こすのは色々と大変なはずなので、朝に一日分のお米を炊いて保温していたのかもしれないなと思いました。そうすると炊き立てが食べられるのは朝だけ? 白米自体も貴重で、基本は雑穀だったと聞いたことがあります。
ただ、お客さんが来た時に台所が忙しくなるシーンがあります。客人には炊き立てのご飯を出したりとかしていたのかも。熱いご飯が良いというのは、電気炊飯器による現代的な感覚なのかもしれないと思ったのですが、昔の人もやっぱりアツアツが良かったのだろうか?(余談ですが、僕は冷や飯に熱いカレーをかけて食べるのが好きです……)
ご飯を保温する容器というのも木製だったり竹だったり色々あるみたいです。
福山市神辺歴史民俗資料館 昔の道具について 「食関係」
http://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/site/kannabe-rekishiminzoku/3154.html
おひつは腐りやすいみたいですね。言われてみればそんな気もします。
夏場は竹籠のような容器に入れて吊るしていたと書いてあります。
暑いから密閉しなくても温度を保てるということなんでしょうね。
今週はあえて冷や飯を食べながら大河を観ようかな……
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