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2016/04/27

刀と温度

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こんにちは、東京の金丸です。

九州地方の震災で被災されました方々へ、心よりお悔みお見舞い申し上げます。

震災では熊本城も大きな被害を受け心が傷む状況ですが、この頃の日本刀について、今日はお話しします。

刀と温度

備前 兼光、相州 正宗、あるいは勢州の妖刀 村正など、日本刀は美術館などで一度はご覧になったことが有ると思います。

この日本刀も温度と密接に関係しています。

一般に西洋の剣は硬いですが、日本刀は軽く粘りのある作りになっています。
これには鋼の炭素量と密接に関係していて、つまり炭素少ないと柔らかく、多いと硬く(もろく)なります。

皆さんも刀工が真っ赤になった素材を繰り返し叩いては折り曲げまた叩くシーンをご覧になったことが有ると思います。

これは約800℃弱に昇温した鋼をたたくことで炭素などの不純物を火花と共にたたき出して硬さを調整しているわけです。

昔の人は温度を含め多くのノウハウを長い経験を通して伝えてきたのですね。

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2016/04/08

ランドセルの語源

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こんにちは。林田です。

本日は4月8日、私の地元では小学校の入学式が行われます。

ランドセルの歴史

まだまだ体に合わない大きなランドセルを背負って登校している一年生を見ると春を感じますね。


そんなランドセルですが、国によって様々な通学用かばんがありますが、ランドセルは日本独自のもので、起源は明治20年まで遡ります。

名前の由来としては、背負える事や両手を使える事ができ、持ち運びの利便性がよかった、軍隊用の背嚢(はいのう)が通学用かばんとして採用され、背嚢(はいのう)がオランダ語で「ランセル」と呼ばれていた事から、「ランドセル」という言葉が生まれたそうです。

今のランドセルは色も種類もかなり多く、オーダーメイドのものもたくさん出ています。

私の時代では、黒か赤、ピンクくらいでしたが、今は黄色やターコイズなど24色から選べるものもあるとか。
6年間使ってもらえる前提で選ぶとすると、24色から選ぶのはなかなか難しそうですね。

最近では、使い終えたランドセルは財布や名刺入れなどにリメイクすることで革製品として使い続けることも出来ます。

このような愛着のあるものをリメイクして使うというのはとてもよいですね。

ランドセルは小学生だけのもの・・?

このブログを書いている時に思った事ですが、ランドセルは小学生が使うものとなっているのでしょうか?

理由の一例としては中学生になると体も大きくなり、顔に似合わない、コスプレのようだ、と考えは様々ですが。

「大人 ランドセル」で検索してみると、、、




あるじゃないですか!


大人ランドセル!!!かっこいいかも!!!


ふいに「大人 ランドセル」で検索しましたが、こういったランドセルはこうあるべきだ。
という固定概念を変えてくれるような発想が素晴らしく、驚きました!

これから固定概念を変えるビジネスが必要になると思っていますので、凝り固まった思考を柔軟に変えていきたいですね。

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2016/03/04

大谷吉継と石田三成

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大谷吉継という戦国武将をご存知でしょうか。

かの関ヶ原の戦いでも活躍をする有名な武将なのですが、秀吉の時代に、越前国敦賀郡・南条郡・今立郡の5万石を与えられた敦賀城主です。

関ヶ原では西軍に属し、残念ながら関ヶ原の戦場で自害したとされています。


なぜ彼が西軍に味方したか、実は、ここにヒューマンドラマが。

大谷吉継が西軍に味方した理由


理由は一つということはもちろんありません。しかし、私が推したいのは石田三成が西軍に属していたため、と言う説。
もちろん、大谷吉継自身、東軍の徳川家康と親交がなかったわけではありません。

石田三成と大谷吉継、こんなエピソードが残っております。


とある大坂城で開かれた茶会。


渋茶が振舞われますが、実はこの渋茶というもの、少しずつ少しずつ、皆で回し飲みをします。

さて、大谷吉継という男、実はハンセン病であったという歴史上の記述があるのですが、この男のあとに飲むことを、皆が嫌がったといいます。
一説には膿が茶に落ちた、というような尾ひれもついているものもあり、真相は定かではありませんが、大谷吉継、辛い思いをしたようです。
そんな中名乗り出たのは石田三成。
あたかも自然に、何事もなかったかのように茶を飲み干したということでした。

この三成の態度に吉継は心底感謝をしたと言われています。

うーん、三成△。


今回はあったかいお茶の、心温まるお話、でした。

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2014/09/26

項羽と劉邦(こううとりゅうほう)

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こんにちは。東京支店の今西です。

たまには歴史に触れねば、、、ということで名作「項羽と劉邦」(こううとりゅうほうを読んでみました。

「項羽と劉邦」


文庫本で上・中・下とあり、非常に読み応えのある小説でした。
やっぱり有名な作品は、それなりの何かがあるんですね。

「項羽と劉邦」の舞台は紀元前200年ごろの中国で、秦の始皇帝が斃(たお)れて漢帝国が興るまでの機関です。

中心人物は、タイトルにある通り2つの国の王様です。

 楚王 項羽
 漢王 劉邦

2人の英雄とその武将たち、彼らを取り巻く人々の群像劇という感じです。

社会も価値観も今とは全然違う時代の人々が主人公ですが、
司馬さんの手腕のおかげか、どの人物にも感情移入して読むことができました。


ただ、やっぱり敗軍の将に感情移入してしまうのはどこの国も同じらしくて、
漢に破れて滅んだ楚の項羽については、壮絶なエピソードがたくさん残っていた様です。

「四面楚歌」


「四面楚歌」という四字熟語は、項羽が最後の戦いで漢軍に砦を囲まれた際、自分の国民である楚人までものが敵軍に混じり、一面にわたって母国・楚の歌を唄っている…という故事から生まれたらしいですね。

あたり一面敵、というだけでなく、
身内まで敵になってしまったとは。

項羽はこの後自分の命運を悟り、
残った配下と恋人(虞姫)と共に最後の宴を開きます。

そこで項羽が詠んだという、詩が残っています。
力拔山兮 氣蓋世 (力は山を抜き 気は世を蓋う)
時不利兮 騅不逝 (時利あらず 騅逝かず)
騅不逝兮 可奈何 (騅逝かざるを 奈何すべき)
虞兮虞兮 奈若何 (虞や虞や 汝を奈何せん)
「騅(すい)」というは項羽の愛馬で、天下の名馬だったそうです。
また、「虞(ぐ)」とは虞姫(ぐき)、項羽の恋人のこと。虞

山を抜くほどの実力が自分にはあっても、
時利、時代が味方せず、騅に乗って戦場を駆けることはもうできない。
愛する虞のことも、どうしてやることもできない。
という何とも豪快で悲しい詩です。

項羽は何より虞姫が敵の手に落ちるのを恐れていました。
詩を聞いた虞姫は項羽の気持ちを理解し、自ら進み出て剣の舞を踊ります。
項羽はその剣を受け取り、自らの手で彼女を斬ってしまいました。。。


いわく、昔の人は現代人よりも感情が豊かで、激情に駆られやすいたちだったとか。

こういう話を聞くと、それも分かる気がします。

歴史上の出来事は、理に適わないことや無駄なこと、意味不明な行動なんかたくさんありますが、人間が感情の起伏で生きているとすれば、それも当たり前かもしれません。

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2013/08/19

氷河期再来!?!?

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みなさんこんにちは!夏本番って感じになってきました。
あついーとか溶けるーとか言うともっと暑く感じますので言うのを控える。
というクールビズ実施中の大山です。

恐竜が絶滅した理由


今回は僕の大好きな恐竜の話です。
皆さん、恐竜がなぜ絶滅したのかご存じですか?

恐竜の絶滅した原因には諸説ありますが、今のところ一番有力なのが小惑星が地球に落下してその影響で絶滅した・・・っとする説で、メキシコのユカタン半島にあるチクシュルーブ・クレーターと言う超巨大クレーターがその小惑星衝突の一番の有力説の証拠と言われています。

ちなみに時代的には6500万年くらい前。

今回ノルウェーで化石を調査している研究者によると、恐竜絶滅の原因は小惑星の衝突ではなくて地球の海水温度の低下が原因とする主張をしているそうです。

この白亜紀の間の急激な温度低下は多くの恐竜を死滅させ、これが恐竜が絶滅するプロセスの第一歩であったようです。
今回の研究はイギリスのプリマス大学のGregory Price博士の主導によって行われ、ノルウェーの北極圏にあるスヴァーバル諸島で化石と鉱物を調べました。
プライス博士によると、温度の低下が非常に厳しかったので、浅い海やその周りの湿地帯などに生息していた恐竜の多くの種が絶滅したようです。

この温度の低下は海洋循環が原因で発生したと思われていて、この白亜紀の時代の大西洋は今よりももっと狭く、北極のある北からの海流が流れていたそうです。
その海流が動きを止めるとそれは北極の万年雪の融解を誘発する可能性があり、それが海水の温度を急激に下げる要因となったのかもしれないらしい。

なんか最近の地球温暖化では海水温度の上昇による様々な影響を聞きますけど、この恐竜絶滅のプロセスが正解だとすると、このまま平成の地球温暖化が進むにつれて海水温が低下して人類絶滅の第一歩とかになったりしちゃうんですかネ?

つまり、二酸化炭素などの温暖化ガスによって地球の気温が上昇すると、その後には溶け出した冷たい水によって氷河期がやってくるってことなんですかネ?

[mixi]恐竜絶滅の原因は隕石衝突ではなくて「気温 - 科学は愛です | mixiコミュニティ

う~ん。
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2013/06/17

壮絶な最期を遂げたあの偉人・・・。

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こんにちは、(株)河合電器製作所 春名です。

歴史上の偉大な人物には、壮絶な最期を遂げた人がいます。

例えば、スペインのフェリペ3世。
この王様も切ない終わりを迎えています。

その驚くべき最期とは・・

著作者: pasotraspaso
ある晩火鉢にあたって暖をとっていた彼ですが、熱くなって来たので鈴を鳴らし、火鉢を下げる係を呼びました。

しかし、その夜に限って係は休みを取っており、鳴らせど鳴らせど誰も下げに来てくれなかったのです。

熱さに耐えきれなくなったフェリペ3世は、なんとそのまま発熱死してしまったと言われています。

実際には、「一酸化炭素中毒だったのではないか」と考えられているそうですが、なんだか笑い話にされて気の毒ですね。

ヒーターが無い時代の、ちょっと寒いお話。

フェリペ3世 (スペイン王) - Wikipedia
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2013/02/18

神話の世界

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こんにちは。東京支店 今西です。

お伊勢さんに行ってきました


先日、伊勢神宮に行ってきました。
さすが日本最高の格式をもつ神社、境内は荘厳な雰囲気で、まるで別世界のようでした。

神宮で祀られている「天照大御神」は太陽の神様なので、太陽が地球に熱を運んでいる…と考えると、
我々ヒーターメーカーとも無縁ではないのかも?
ひとつよろしく! と拝んでおけばよかったのですが当日は仕事のことはさっぱり忘れて観光してました。

(おかげ横丁の「豚捨」コロッケは絶品です!一度お試しあれ。)
伊勢内宮前 おかげ横丁【店舗ガイド】

神道について少々・・

お盆は寺に墓参り、クリスマスを祝いながら、新年は神社に初詣でする平均的日本人な私ですが、神道の説話なんかは好きで本を拾い読んだりしてます。

日本の神道は教義とか戒律がうるさくなくて、(あるのはあるのかも知れませんが)人間味があって自由なところが好きです。
最高神の天照大御神からして、有名な「天岩戸」ですが、へそを曲げて岩戸に閉じこもったはいいものの外のどんちゃん騒ぎが気になって、岩戸から少し覗いたところを引きずり出されちゃった…みたいな話もありますし。


日本人には宗教が無いとよく言われますが、そんなことは無いと思うのです。
ただキリスト教やイスラム教のように、唯一神への強烈な信仰ではなく、日本人にとって神様とはもっと身近な存在で、「いつもそこに居るもの」なのだと思います。
「八百万の神」といわれるように、それこそ「トイレの神様」みたいに色んなものに神様が宿っていて、それらが寄り集まって世界を形作っているというのが日本人の宗教的世界観なのかなあと。
だから一神教のイスラム教やキリスト教には違和感を覚えやすい。


逆に考えると、アルジェリアの事件のような宗教の絡んだ問題を、日本人は客観的に捉えやすいのかもしれません。
「自分にとって宗教って何だろう?」と考えてみることが大事なんでしょうね。
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2013/02/01

八重の桜

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こんにちは。東京支店の坂野です。

会津に行ってまいりました

著作者: L'oeil étranger
年末年始の休暇を利用し、会津に家族旅行にでかけてきました。
丁度、今年の大河ドラマで八重の桜が公開されますね。(行って初めて知りましたが)

男勝りの八重が主人公ですが、「会津藩 = 白虎隊」が有名すぎる為か、表舞台にあまり登場してこなかった人物です。
若松城で、大河ドラマを記念し、紙芝居により、八重の生涯を知ることが出来ました。


会津藩の砲術師範役・山本権八、佐久夫妻の子として生まれる。
戊辰戦争時には断髪・男装し、会津若松城(鶴ヶ城)籠城戦で最新銃を手に奮戦したことから、後に「幕末のジャンヌ・ダルク」と呼ばれるー
―ようです。

八重、白虎隊の生きた時代から約150年、当時の会津とは様変わりし、城下町もビル群となってしまっていましたが、あの寒風は、今も昔も変わらなかったものと考えると、当時の人の心身は強靭で有ったのだろうと思わされたものです。
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2013/01/09

入浴剤の歴史

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こんにちは!東京支店 営業の林田です。
今日からまた、ドンドン豆知識を更新していきますので宜しくお願いします!

冬にツライ・・乾燥肌にはアレ


冬になると乾燥から体が痒くなりますよね。
浴槽には入浴剤を入れ、湯上りにはクリームを塗る。

そういった方は多いのではないでしょうか。

ここで、入浴剤っていつ頃から入れるようになったのだろう?と気になり、調べてみました。

入浴剤の歴史

入浴剤の発生は、天然の温泉と薬用植物による薬湯に由来しているものです。
さすが温泉国日本!
なんだか歴史は古いようですね。
続きます。

薬用植物を用いた薬湯は、端午の節句の菖蒲湯や、冬至の柚子湯のように古くから庶民のあいだに慣習として受け継がれ、江戸時代には、治療を目的としたものがすでに、処方化され、皮膚病の治療薬湯などに用いられました。
貝原益軒の養生訓のなかには『五木八草湯』の記載があり用いられた植物は、桑・楡・桐・菖蒲・忍冬などがあります。

 明治中期、種々の生薬を配合し、布袋に入れ煎出して用いる商品が作られたのが初めてです。
 その後、種々の効果を持つ温泉(子宝の湯・腫れものの湯・中気の湯・美人の湯など)を温泉地に行かなくても、家庭で簡単に応用できないかという考え方から、天然の温泉成分を乾燥、粉末化したものから始まり、昭和初期に、無機塩類入浴剤(ノボピン・バスクリン等)が開発されて発売されました。これらは温泉を構成している成分のうち安全性が高く、効能効果を有し、品質が安定して確保しやすい基剤が選択されました。
さらに、入浴で得られるリラックス感を助長し、入浴を楽しくするために、色素や香料が添加されました。

戦後に一気に普及

戦前、入浴剤は主に公衆浴場で使われ、一般家庭の風呂場で愛用されるまではいたりませんでした。
これは当時風呂つきの住宅を持っているのは、都市部ではごく限られた人々であり、ほとんどは近くの銭湯を利用するのが普通であったという背景があります。
日本の住宅事情も1960~1970年代にかけてマイホーム・公団住宅・民間のマンションなどの建設が増え始め、風呂つき住宅が常識となってきました。
この頃から、健康志向、リラックス空間としてのお風呂の位置づけが認識され始め、酵素系入浴剤や炭酸ガス系入浴剤の市場投入により、急速な市場規模の拡大を見るに至りました。
その後、保湿成分でスキンケア効果を期待する商品の開発も盛んに行われ、家庭で出来る手軽な健康法として種々の入浴剤を使用した入浴が見直されてきています。

今日、入浴剤は温浴効果及び清浄効果による諸症状の緩解等、健康維持の一環として用いられ、さらにスキンケア効果や入浴時のリラックス感助長の改善に広く寄与しています。(出典:日本浴用剤工業会HP

入浴剤にも長い歴史があり、当たり前のように使えているのは先人たちの研究のおかげだったりします。


弊社の製品も先人たちが積み重ねてきた歴史の上に成り立っていることを再認識し、よりよいヒーターの製造、開発に努めていきます。



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2012/04/06

開花

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こんにちは。営業の今西です。

先週までの寒さから一転、桜の季節となりました。
今週末はお花見に出かけられる方も多いのではないでしょうか。

お花見の歴史をご存知ですか


「古事記」にも桜について書かれているくらいなので、日本人は数千年の昔から桜を愛してきたことになります。
ただ、桜を観賞しながら歌を詠んだり宴を開くのは貴族など上流階級の文化で、お花見が一般的になったのは江戸時代のことらしいです。

それまでは桜といえば山桜だったので花見というよりは紅葉狩りみたいなイメージだったのですが、江戸時代には各地への植樹がだいぶ進んでおり、より身近な花となっていたことも、花見が一般的になった理由なのだそう。

ぱっと花開き、潔く散る桜の姿に当時の江戸っ子は自分たちを重ねたのだ…
というお話もありますが、単に騒ぐ理由が欲しかっただけという気も…

お花見特集2012 - 全国の桜名所と開花情報 - MAPPLE 観光ガイド
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2011/07/28

インコロイとチタン

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こんにちは。丹羽です。


シーズヒーターのパイプ材


シーズヒーターとは、金属のパイプ状のヒーターです。

シーズヒーター - 株式会社河合電器製作所
弊社のシーズヒーターは、様々な材質のものを選定し使用していますが、通常使われているのはステンレスです。
また、ご使用の環境が厳しい場合に選定されるパイプ材に、インコロイ材とチタン材がありますが、今回は、このインコロイ材とチタン材について、ヒーター以外の話を紹介します。

インコロイとチタンの歴史上のこぼれ話

高温用シーズヒーターで、弊社が使用するインコロイ800というニッケル合金のパイプですが、これは、原子力蒸気発生管でも使用されている材料です。

又、通常の投込みヒーターでは腐食してしまう、塩素の多い環境下で推奨するチタンパイプには、こんな裏話もあります。

冷戦で、

(中略)

当時発見されていたチタン鉱脈はほとんど東側諸国であったため、アメリカはチタンをソ連から調達していた。
冷戦中ゆえアメリカはニセの会社を設立し、そこを通じてアメリカへ密輸入していた。
(チタンwikipediaより)
軽くて強い金属であるチタンは、軍需産業でも使用されます。
冷戦時代、当時発見されていたチタン鉱脈はほとんど東側諸国でした。
ソ連はアメリカ軍がチタンを使用出来ないよう、世界中のチタン市場を買い占めようとしていました。
チタンを調達出来ないアメリカは、ダミー会社を作ってソ連から密輸していたそうです。


こぼれ話でした。

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2011/06/27

発見はいつもそばに

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こんにちは!営業の春名です。

熱帯夜にはアイスノン!その閃きの元は?


アイスノン、お使いになったことはありますか?
熱が出た時、暑くて寝苦しい時。
ひんやり長持ちの頼りになるアイテムです。

そんなアイスノンですが、どうやって考え出されたのでしょう?



初の国産保冷枕を売り出した鎌田商会(現「株式会社 白元)の鎌田泉さん。

冷たさが持続する保冷枕を作りたいと考えていたところ…
ある日「葛湯」を飲んでいて、温かさが長持ちするなら、冷やしても冷たさが長持ちするのでは?
とひらめいたそうです。

実際冷やした葛湯は、水よりも3倍冷たさが持続しました。

しかし、さすがに食品の葛湯を袋に詰めて売るわけにはいきませんよね。


試行錯誤されてたどり着いたのは、「洗濯糊」。
この洗濯糊の成分をさらに調べて、アイスノンが生まれたのだそうです。
アイディアって、思いもよらない身近な所にあるものですね。



今日はひんやり冷たいけれど、とっても熱い探究心にまつわるお話をご紹介しました。

株式会社 白元
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2011/03/30

秀吉と信長

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こんにちは、今西です。

今日は暖かい小話をひとつ。

秀吉の暖かさに関する一工夫


戦国時代の覇者・豊臣秀吉は、昔、織田信長の小姓でした。
ある冬の寒い日、信長はある屋敷に用事があり、玄関で草鞋(わらじ)を脱ぐと、付き人の秀吉にそこで待つように伝えました。

信長が用事を終え、屋敷を出ようと草鞋を履くと、その草鞋が温かい。

信長は秀吉に言いました。

「さては貴様、わしの草鞋の上に尻を乗せて座っておったな」

詰め寄る信長でしたが、実際はそうではなく、寒さを思い、秀吉が土のついた草鞋を懐に入れ、体温で温めていたのでした。

秀吉の細かな気遣い

秀吉はこうした気遣いに長けていたといわれ、信長の覚えもよく、後に取り立てられた理由の一つであったと言われています。

こうした相手へのちょっとした気遣いの積み重ねが、お客様に喜ばれるビジネスの基礎になるのだと思います。
先人に学び、活かしていきたいものです。
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2011/02/07

電気炊飯器の歴史

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こんにちは、佐竹です!

最近、「炊飯器でおいしくお米を炊くこと」が流行っているようですね。
「電気で」お米を炊くという発想自体は意外と古いようです。

今日は炊飯器の歴史について、掘り下げていってみましょう。

▲ 炊飯器がない生活なんて・・考えただけでも・・(><)

炊飯器の原型は、戦前1937年ごろ

炊飯器の原型は、戦時中に使われていた記録が残っていました。

旧日本陸軍が1937年に正式採用した、九七式炊事自動車には、「炊飯櫃」という原始的な電気炊飯器が装備されていました。

九七式炊事自動車 - Wikipedia
これは、四角い木製の箱の両端に電極を付けたもの。
炊飯櫃の中に研いだ米と水を入れて電極に通電すると、中の水が通電により発熱して炊飯を行うというものです。

米が炊き上がると水分が減少するため、抵抗値が上昇して発熱量が少なくなります。
これを利用し、そのまま保温に移行できる!という原理。

しかし、この方式では水の種類や米の研ぎ加減によって発熱量が変化して、炊き加減がばらつく上に、何より、感電の危険が大きい。
これらの理由から、家庭用にするには不向きでした。


戦後、炊飯器が発明される

最初に実用的な電気炊飯器を発明したのは、東京の町工場である「光伸社」の三並義忠という人です。
釜を三重化することで、外気温による影響を受けにくくなり、実用的な炊飯が可能になりました。
(これは空気の層による保温機能で、温度を高めるようにしたものです)

しかし、まだ一般家庭に普及・・とまではいかなかったようです。


家庭へ一気に普及した理由とは・・?

やがて1955年に自動式電気釜という名で、T社から製品化されたときには、「二重釜間接炊き」という方式が導入されました。
これは、バイメタル技術を利用したもので、自動式で電源OFFにするという機能です。
このおかげで、いったん電源ONにすれば、あとは自動的に電源OFFになるので、炊飯中に常時見張っている必要がなくなりました。

さらに、自動的に電源ONになるタイマーも別途発売され、これらにより、電源のON/OFFが自動化されたので、いったんタイマーをかけておけば、夜眠っている間に炊飯されて、朝起きたら炊き上がっているようになりました。

これで全自動化されて、電気釜は大ヒット商品になったようですね。


(当時、商品化するにあたり、「寝ている間に米を炊こうなどという女と結婚したいのか」と製品化に反対する声もあったとか(笑))


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2010/12/06

戦争が生んだもの②

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こんにちは、佐竹です!

前回は、クリミア戦争をきっかけに天気予報が生まれたという話をしましたが、天気予報以外にも、様々なものが生まれているんです。

あの洋服も、実は戦争の産物

著作者: GU / 古天熱 (改変 gatag.net)
実はカーディガンも、あの英仏の戦争の産物だったのです。
それまでかぶって着るのが常識だったセーターを前開き可能なものに考えたのは、イギリスの貴族・カーディガン伯爵です。

クリミア戦争の中でも一番激しかったといわれる「バルクラヴァの戦い」で、伯爵は、厳しい寒さの中あえなく負傷しました。
負傷した兵士にセーターをかぶらせるのは至難の業です。

そんな時に「前開き可能なセーターがあれば……」と思いついて作りあげたものが現在のカーディガンといわれています。

カーディガン伯爵 - Wikipedia

ちなみにトレンチコートは、バーバリーが第一次世界大戦中に武器を身につけやすいようにと考えたものだそうです。


さて、今やコートやカーディガンは当たり前になった今日この頃、毎日のコーディネイトに悩む方も多いのではないでしょうか?

気温と服装にはこんな関係があります。以下をご参考に。
・ 21℃〜25℃ → 長袖のシャツ
・ 16℃〜20℃ → カーディガンなどで重ね着
・ 12℃〜15℃ → セーター
・ 7℃〜11℃ → コート
・ 〜6℃ → コート+マフラー

戦争が生んだ天気予報とカーディガン - Excite Bit コネタ
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2010/07/06

戦争が生んだもの①

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こんにちは、佐竹です!

天気予報の始まり


梅雨時期は天候が不安定ですね。
傘を持っていくかどうか、天気予報に目が離せません。

さて、その天気予報、始まりは戦争と関係があるんだそうです。

19世紀、英仏が対戦したクリミア戦争中、暴風雨で最新鋭軍艦を沈没させてしまったフランス政府は天気の予測について調査を開始しました。

これを受け、パリ天文台のルヴェリエ台長が天気図を作成し、暴風の予測が可能であることを証明しました。
ここから天気予報が始まったのです。

戦争によって失ったものは果てしなく大きいですが、今、無くてはならないものを産んだものも数多くあるんですね。

ユルバン・ルヴェリエ - Wikipedia
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2010/05/25

熱の歴史

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こんにちは、坂東です!

今日は熱の歴史についてお話します。
熱の始まりは人間が火を使うことを覚えた時点で、
今から60万年ぐらい前、打製石器が利用され始めたころと言われています。

摩擦熱を利用して火おこしをし、体を暖めたり、料理したり、
獣から身を守るために使われたと推測されます。

その後18世紀に入ってから、熱を使って器具を動かす蒸気機関につながっていきます。

熱というものは今では当たり前すぎる存在になっているかも知れませんが、
歴史を追ってみると、熱の存在の大きさを感じる事ができると思います。
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2010/05/06

火ってなに?

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こんにちは、近藤です!

5月ですね!ゴールデンウィークは、いかがお過ごしでしょうか?
アウトドア&バーベキューシーズンということで、
ガスコンロ、焚き火、ライターなど火と接する機会が多くなってきますね。

「火」の定義は、モノが燃えることによって起こる現象です。
(あたりまえと言えば、あたりまえですね。)

昔の用途は、「光」と「熱」の両方でした。
今では熱として使われることが多いですが、
ランプやロウソクのように光としても使われていますね。

また、「火」は昔、神聖なものと考えられていました。
日本でも京都の有名な送り火があります。
確かに「火」をずっと見ていると、不思議な気持ちがわいてくるような気もします。

改めて考えてみると、色々な使い方がありますね。
くれぐれも「火」の扱いにはご用心下さい!
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2010/04/26

石田三成の逸話

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こんにちは、今西です!

関が原の戦いで有名な石田三成には、こんな逸話があります。





長浜城主となった秀吉は、ある日、領内で鷹狩をしていた。

その帰途、喉の乾きを覚えて、ある寺に立ち寄って茶を所望した。
対応した寺の小姓は、
まず最初に大ぶりの茶碗にぬるめの茶を一杯に入れて出した。

喉の乾いていた秀吉は、それを一気に飲み干したあと、もう一杯たのんだ。
次に小姓は、やや小さめの碗に、やや熱めにした茶をだした。

秀吉が試みにもう一杯所望したところ、
今度は小ぶりの碗に熱く点てた茶を出した。

相手の様子を見て、その欲するものを出す、
この心働きに感じいった秀吉は、その小姓を城に連れて帰り家来とした。

この小姓が、その後累進し、五奉行の一人、石田三成となったのである。

(出典:http://www.asahi-net.or.jp/~IA7S-NKI/knsh/itsuwa/itsuwa.htm)




相手の身になって考え、相手の求めているものを出す。
我々もこんなビジネスを心がけたいものです。
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2010/04/23

温度計のはじまり

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こんにちは、坂東です!

温度とは、人間が感じとしてとらえられている
暑さ、寒さ、熱さ、冷たさを数字で表したものです。

しかし、人間が触った感じの熱さや冷たさは個人差もあり、客観的ではありません。
そのため、温度を数字で表すために、いろいろな試みがなされてきました。

現在用いられているような温度計は、17世紀の中頃に出現しました。

フランスの医者ジャン・レーは、熱病患者の体温を知るために
ガラス球にガラス管をつなぎ、中に水を入れた器具を考案しました。

ガラス球を患者に接触させると、熱によってガラス球中の水の体積は膨張します。
そこでガラス管に目盛りをつけて、水柱の高さの変化から患者の体温を測ったのです。

これは、現在使われているアルコール温度計や水銀温度計と同じ原理に基づいています。
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