大谷吉継と石田三成 | 熱のことなら-【熱闘ブログ】

2016/03/04

大谷吉継と石田三成

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大谷吉継という戦国武将をご存知でしょうか。

かの関ヶ原の戦いでも活躍をする有名な武将なのですが、秀吉の時代に、越前国敦賀郡・南条郡・今立郡の5万石を与えられた敦賀城主です。

関ヶ原では西軍に属し、残念ながら関ヶ原の戦場で自害したとされています。


なぜ彼が西軍に味方したか、実は、ここにヒューマンドラマが。

大谷吉継が西軍に味方した理由


理由は一つということはもちろんありません。しかし、私が推したいのは石田三成が西軍に属していたため、と言う説。
もちろん、大谷吉継自身、東軍の徳川家康と親交がなかったわけではありません。

石田三成と大谷吉継、こんなエピソードが残っております。


とある大坂城で開かれた茶会。


渋茶が振舞われますが、実はこの渋茶というもの、少しずつ少しずつ、皆で回し飲みをします。

さて、大谷吉継という男、実はハンセン病であったという歴史上の記述があるのですが、この男のあとに飲むことを、皆が嫌がったといいます。
一説には膿が茶に落ちた、というような尾ひれもついているものもあり、真相は定かではありませんが、大谷吉継、辛い思いをしたようです。
そんな中名乗り出たのは石田三成。
あたかも自然に、何事もなかったかのように茶を飲み干したということでした。

この三成の態度に吉継は心底感謝をしたと言われています。

うーん、三成△。


今回はあったかいお茶の、心温まるお話、でした。

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